松井秀喜ベースボールミュージアム - MATSUI HIDEKI BASEBALL MUSEUM

01.日米通算 500本塁打達成バットとトロフィー(2011)

01.日米通算 500本塁打達成バットとトロフィー(2011)


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    7月20日(米時間)タイガース戦で日米通算500本塁打を達成した松井選手。 その後 本拠地で行なわれた記念セレモニーで「ベースボールレジェンド(野球界の伝説)」と紹介され、 アスレチックス球団から 巨人とアスレチックスのロゴ入りクリスタルバットのトロフィーが贈られました。

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02.僕が心の糧としてきた言葉や信念

02.僕が心の糧としてきた言葉や信念


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    このコーナーは、松井選手が人生の中で心の糧としてきた言葉や信念をご紹介するものです。 いじめ問題や夢を持つ事の大切さを記した子どもたちへのメッセージなども交えて展示しております。

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03.夢をつかむ手 ~Dream Hand~

03.夢をつかむ手 ~Dream Hand~


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    ミュージアム・エントランスに松井選手の手のブロンズ像を設置しました。 このブロンズの手は、幼き頃から野球選手になるのが夢で、メジャーリーガーになることが出来た松井選手の手を “夢をつかむ幸運の手”と名付け、松井選手の手をもとに制作しました。 モニュメントには、松井選手の直筆で『Dream Hand』『夢をつかもう!』と刻まれています。

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04.日米通算2500本安打記念ボール(2011)

04.日米通算2500本安打記念ボール(2011)


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    2011年4月3日、松井選手は対マリナーズ戦で日米通算2500本安打を達成しました。
    その記念のボールに松井選手の直筆サインが書かれ、試合当日アスレチックスのベンチに貼り出されたオーダー表や 球場で配られた日本語入り「松井Tシャツ」などと共に新たにミュージアムの展示品に加わりました。

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05.ATHLETICS OFFICIAL MAGAZINE

05.ATHLETICS OFFICIAL MAGAZINE


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    アスレチックス公式マガジン(2011年4・5月号)で松井選手が紹介されました。 真新しいアスレチックスのユニフォームを着た松井選手がマガジンの表紙を飾り、巨人時代からの活躍や人柄等を紹介する特集記事が 全6ページに渡り掲載されました。 また松井選手のポスターも付録としてついています。

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06.「さあ 僕のふるさと石川県へ」

06.「さあ 僕のふるさと石川県へ」


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    石川県の新しい観光ポスターに松井選手登場です。松井選手は石川県の観光大使を務めており、 兼六園や山中温泉など県内の名所とともにふるさと石川県をPR。 松井選手が手に持っている色紙「さあ 僕のふるさと石川県へ」の文字は松井選手の直筆です! 石川県には美しい風景とともに様々な伝統工芸・文化、美味しい幸がいっぱい。皆さん、是非石川県に遊びにいらして下さい♪

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07.NYタイムズ日本人記事面積ランキング 第4位(2010)

07.NYタイムズ日本人記事面積ランキング 第4位(2010)


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    2010年ニューヨークタイムズに最も多く掲載された日本人記事面積ランキングで、松井選手は第4位に選出されました。 この賞は、テレビ東京「この日本人がスゴイらしい Brand New Japan」の番組が集計したもので、 松井選手はこの年ニューヨーク・ヤンキースからロサンゼルス・エンゼルスに移籍したものの、松井選手を放出したことを嘆く記事が多く掲載されました。

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08.「松井秀喜ワールドシリーズMVPまでの軌跡」ニューバージョン

08.「松井秀喜ワールドシリーズMVPまでの軌跡」ニューバージョン


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    松井選手がヤンキースに入団してから数々の試練を乗り越え、7年目にしてようやく掴んだワールドチャンピオン・MVPに輝くまでを 描いた館内放映ムービー「松井秀喜ワールドシリーズMVPまでの軌跡」をリニューアルしました。 迫力ある試合映像やラジオ中継を交え、その時々の興奮が蘇る感動のムービーです。グレードアップしたムービーを是非お楽しみ下さい。

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09.ワールドシリーズMVPトロフィー(2009)

09.ワールドシリーズMVPトロフィー(2009)


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    2009年11月4日、ヤンキースタジアムで行なわれた大リーグワールドシリーズ(7回戦制)の第6戦。 ヤンキース(アリーグ)はフィリーズ(ナリーグ)を7-3と破り、4勝2敗で9年ぶり27度目の優勝を決めました。 この試合4打数3安打6打点と大活躍した松井選手。このシリーズ13打数8安打、打率.615、3本塁打8打点の成績を残し、 日本人選手初のシリーズ最優秀選手賞(MVP)に選ばれました。

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10.ワールドシリーズ チャンピオンリング(2009)

10.ワールドシリーズ チャンピオンリング(2009)


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    アメリカメジャーリーグ(MLB)の2009ワールドシリーズは、松井選手が所属していたニューヨーク・ヤンキースが 球団通算27回目の優勝を飾りました。 ヤンキース球団では、この年の選手と球団関係者全員に恒例の優勝記念リングを贈呈しました。 左の写真は松井選手に贈られたリングです。このリングはミュージアムにて展示しております。

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11.まついひでき(幼少年時代)絵画展

11.まついひでき(幼少年時代)絵画展


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    松井選手が幼少年期に描いた絵などを集めた絵画展を開催しております。 絵画は全15点で、中には小学校1年生の夏休みにピアノの発表会を絵日記に描いた可愛らしい作文も展示されています。

    1.ぼくのかお 2.ボクの大好きな新幹線「ひかり号」 3.おともだちとトンボとり 4.夏休み家族みんなで船から魚釣り  5.タイトル不明 6.ねずみさんのおうち? 7.ボクのねこ「ナナ」 8.ボクの家族 9.運動会「大玉ころがし」 10.ピアノの発表会 11.浜小学校校舎 12.おとうさんのかお  13.九谷焼の飾り皿 14.物語「おおきなかぶ」 15.ボクの家の教会の庭でおともだちと雪合戦

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12.全長約5メートルの巨大バット

12.全長約5メートルの巨大バット


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    2010年3月、キリンビバレッジの缶コーヒー「FIRE」のキャンペーンで突如、新宿駅前に登場した「BIG MATSUI」。 そのBIG MATSUIが持っていたバットが今回ミュージアムに登場しました。 BIG MATSUIはバルーンで作られた巨大な松井秀喜人形。その大きさは全長10mもありました。

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13.旧ヤンキースタジアム実使用ロッカー

13.旧ヤンキースタジアム実使用ロッカー


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    2008年9月21日数々の栄光と共に幕を閉じた旧ヤンキースタジアム。松井選手は幸運にも2003年4月8日初デビュー戦で ヤンキースタジアム史上初の満塁ホームランを放ちました。 当館では松井選手が6年間使用していた旧ヤンキースタジアムのロッカーを展示しています。 ロッカーは、ニューヨーク港から神戸港に陸揚げされミュージアムに搬入されました。

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14.「ニューヨーク・ヤンキースに入団できたことを神様に感謝します」ジョー・ディマジオ

14.「ニューヨーク・ヤンキースに入団できたことを神様に感謝します」ジョー・ディマジオ


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    ディマジオ氏は1936年~1951年までヤンキースに所属していた選手で、56試合連続安打やMVP・首位打者・本塁打王・打点王を 獲得するなど活躍しました。 また、ディマジオ氏はグランドでの態度やファンへの対応も誠実でとても素晴らしく野球選手の鑑とされていました。

    旧ヤンキースタジアムに展示されていたディマジオ氏の言葉のプレートは、現在当ミュージアムに展示されています。

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15.宇宙を飛んだ55番のTシャツ

15.宇宙を飛んだ55番のTシャツ


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    NASAの宇宙飛行士ギャレット・リーズマン氏から国際宇宙ステーションの中で着用した「55番」のTシャツをいただきました。 リーズマン氏は、2008年に打ち上げられたエンデバーの飛行士であり、松井選手が左手首を骨折した際の報道を通して松井選手の人柄に 魅せられファンになったそうです。 リーズマン氏が「55」「マツイ」と書いたTシャツを着用し、ステーション内を浮遊する様子を収めたオリジナルDVDをスクエアにて 放映しております。

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16.日本プロ野球名球会 ブレザー・帽子(2007)

16.日本プロ野球名球会 ブレザー・帽子(2007)


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    松井選手は2007年5月6日、大リーグ・マリナーズ戦にて日米通算2000本安打を達成し、名球会入りが決まりました。 その後、初代会長である金田正一氏より、ブレザーと帽子が贈られました。
    日本プロ野球名球会は、「社会の恵まれない人達への還元と日本プロ野球界の底辺拡大に寄与する」ことを目的に1978年(昭和53年)に発足しました。 昭和生まれのプロ野球選手とOBで、日米通算記録が投手200勝または250セーブ、打者が2000本安打以上であることが参加資格となっており、 入会した選手には名球会のブレザーと帽子が贈られます。

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17.松井秀喜公式応援歌・栄光(ひかり)の道

17.松井秀喜公式応援歌・栄光(ひかり)の道


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    2007年ヤンキースタジアムで松井選手がバッターボックスに立った時にスタジアムに流れていた曲(栄光の道)は 故・岩城宏之氏が描いた夢が実現し誕生しました。 [原作:須貝美希 作詞:響敏也 作曲:宮川彬良 歌:安藤常光 演奏:オーケストラアンサンブル金沢] 3月23日より「栄光の道誕生秘話展」開催しております。

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18.「松井秀喜、5年目のNY。」

18.「松井秀喜、5年目のNY。」


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    2007年度の石川県観光ポスター。「石川とニューヨークの真ん中に、僕がいます。」のキャッチフレーズのとおり、 松井選手の右側は石川県の名所「兼六園」、左側にはニューヨークのマンハッタンの 美しい風景が広がっています。 故郷を大切に思いながら異国の地で夢を追う松井選手。「野球を通して日本とアメリカの架け橋になりたい」そんな松井選手の想いが 伝わってくる石川県のポスターです。

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19.松井選手と宇宙飛行士野口聡一氏

19.松井選手と宇宙飛行士野口聡一氏


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    2006年11月松井選手はニューヨークで野口聡一氏と初めてお会いする機会がありました。 野口氏は2005年7月国際宇宙ステーションの組み立てと補修作業を行う目的でスペースシャトルに乗り込み13日21時間32分、宇宙に滞在しました。

    左の記念品は、スペースシャトル・ディスカバリー号に搭載され「翔べ!きぼうの未来圏へ」と命名され、宇宙に打ち上げられたものです。

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20.町民特別功労賞(2005)

20.町民特別功労賞(2005)


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    松井選手は2005年1月10日、石川県根上町(現・能美市)平田文雄町長より特別功労賞の贈呈を受けました。

    受賞の主な理由は次の通りです。

    特別功労賞 松井秀喜殿 あなたはアメリカ大リーグニューヨークヤンキースに入団以来不断の努力と不屈の精神力で目覚しい活躍をされ町民に明るい夢と 大きな希望を与え国内外を通じて 広く人々から賞讃されていることは本町の誇りとするものであります。 よってここに特別功労賞を贈り表彰します。          石川県根上町長 平田文雄

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21.グッド・ガイ賞(2004)

21.グッド・ガイ賞(2004)


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    2004年1月24日、松井選手は全米野球記者協会ニューヨーク支部からグッド・ガイ賞を受賞しました。 この賞は、全米野球記者協会(BBWAA)が取材対象である選手の人柄を評価する賞で、過去にハンク・アーロン氏、ビート・ローズ氏と いう名選手も選ばれています。 日本人選手では1999年の吉井理人投手(当時メッツ)に続く二人目の受賞です。

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22.MLBオールスター出場記念リング&バット(2004)

22.MLBオールスター出場記念リング&バット(2004)


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    2004年、松井選手はヒューストンのミニッツメイドパークで開催されたMLBオールスターに最終投票で「32番目の男」として出場しました。 2年連続出場となった松井選手は9回一死一塁で出場。9-4でア・リーグが勝ちました。 このオールスターで勝ったリーグに所属するチームには、ワールドシリーズのホームゲームアドバンテージ (第1.2.6.7試合を本拠地球場で開催する権利)が与えられます。

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23.ヤンキース日本開幕戦MVPトロフィー(2004)

23.ヤンキース日本開幕戦MVPトロフィー(2004)


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    2004年3月30日と31日の両日、ニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズ(MLB ア・リーグ)は 東京ドームでシーズン開幕戦を行いました。 前年に東京読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースに移籍した松井選手には凱旋の試合になりました。 松井選手は31日の第2戦で、ジェレミー・ゴンザレス投手から開戦第1号の2ランホームランを放つなど活躍し、MVPに輝きました。

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24.MLBオールスター出場記念リング&バット(2003)

24.MLBオールスター出場記念リング&バット(2003)


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    MLBオールスターは、ナショナルリーグとアメリカンリーグ、両リーグの選抜チームによる対抗試合で、1933年に第一回大会が開催されました。 毎年7月にファンによる投票や監督の推薦等で選ばれた選手によって、一晩限りのドリームチームが結成されます。 松井選手は、2003年シカゴUSセルラーフィールドで開催されたオールスターに7番センターで初出場。新人ではただ一人の先発メンバーに選ばれ、 初打席で左前打を放ちました。

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25.金の足(ミズノ社製)

25.金の足(ミズノ社製)


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    松井選手が試合で使用する野球用品(バット・グローブ・スパイク・手袋等)は全てミズノ社製です。 この足型は松井選手のスパイクを制作する際に、足型モデルとして松井選手の足から再現したものです。

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26.巨人軍時代に使用していた野球道具

26.巨人軍時代に使用していた野球道具


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    松井選手が巨人軍時代に使用していたヘルメット・グローブ・バッティング手袋・スパイクです。 松井選手は野球道具をとても大切に扱い、「道具というものは愛情を込めれば込めるほど、体の一部になっていく」とも述べています。

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27.東京読売巨人軍 選手会在籍記念盾

27.東京読売巨人軍 選手会在籍記念盾


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    松井選手は、1993年1月1日~2002年11月30日までの約10年間、東京読売巨人軍に在籍しました。
    その記念として巨人軍の選手会より松井選手へ在籍記念の盾が贈られました。 巨人軍に在籍した10年間で松井選手は、首位打者に1回・本塁打王に3回・打点王に3回・最高出塁率に3回輝きました。

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28.毎日スポーツ人賞(2002・2009)

28.毎日スポーツ人賞(2002・2009)


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    毎日スポーツ人賞は、スポーツを背景にした幅広い分野で優れた実績を挙げた個人や団体を顕彰する賞です。 2002年、松井選手は毎日新聞の読者が選ぶファン投票の結果、「毎日スポーツ人賞 ファン賞」に選ばれました。

    また2009年にはワールドシリーズで日本野球のレベルの高さを世界に示し、多くの人を歓喜させたとして 「毎日スポーツ人賞 特別賞」の表彰を受けました。

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29.日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣杯(2000・2003)

29.日本プロスポーツ大賞・内閣総理大臣杯(2000・2003)


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    松井選手は2000年2003年に日本プロスポーツ大賞を受賞しました。 2000年は巨人が日本一に輝いた年で松井選手は本塁打・打点の二冠を達成しました。 また、2003年はメジャーリーグ1年目でワールドシリーズに出場した年でした。

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30.正力松太郎賞(2000)

30.正力松太郎賞(2000)


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    現代の日本プロ野球の生みの親として知られる正力松太郎氏の業績を称え、1977年から表彰が始まった賞で 「日本球界最高の賞」とも言われています。 松井選手は日本シリーズでMVPを獲得した2000年に、この正力松太郎賞を受賞しました。

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31.日本シリーズMVPトロフィー(2000)

31.日本シリーズMVPトロフィー(2000)


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    昨年松井選手は念願のワールドチャンピオンに輝き日本人初となるMVP賞を獲得しましたが、 当館では2000年の日本シリーズで松井選手が獲得したMVPトロフィーも展示しております。 この年の日本シリーズは、長嶋監督率いる「読売ジャイアンツ」と王監督率いる「ダイエーホークス」の対戦となり、 「ON対決」としても大変注目を浴びました。結果は読売ジャイアンツが4勝2敗で勝利。6年ぶり19度目の日本一に輝きました。 松井選手も3本塁打8打点と活躍し、最高殊勲選手賞MVPを獲得しました。

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32.石川県初の県民栄誉賞(2000)

32.石川県初の県民栄誉賞(2000)


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    2000年、松井選手は全試合で4番を務め、セ・リーグのホームラン王、打点王の2冠を獲得しMVP(最優秀選手)にも輝きました。

    故郷石川県ではこの活躍に対し、県民栄誉賞を創設。その第一号として、松井選手は谷本県知事から記念の盾と賞状をいただきました。

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33.センチュリー20世紀 セ・パ両リーグベストナイン(2000)

33.センチュリー20世紀 セ・パ両リーグベストナイン(2000)


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    2000年、松井選手は「センチュリー20世紀ベストナイン」に選ばれました。 20世紀最後の歴史的な年を記念し、一般投票と選考委員によってポジション別に20世紀を代表するベストプレーヤーが選ばれ、 松井選手は外野手部門でイチロー選手、張本氏とともに受賞しました。

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34.ゴールデングラブ賞・トロフィー

34.ゴールデングラブ賞・トロフィー


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    松井選手は「三井ゴールデングラブ賞」を2000年から3年連続で受賞しました。 ゴールデングラブ賞はシーズンを通して卓越した守備力を発揮した選手に贈られ、記者経験5年以上のプロ野球記者の投票によって、 各ポジションの9名が選ばれます。 このゴールデングラブ賞・トロフィーは、ミュージアム「栄光の巨人軍へ」のコーナーに展示されています。

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35.セントラル野球連盟記念賞

35.セントラル野球連盟記念賞


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    松井選手は巨人時代セントラル野球連盟から次の記念賞を受賞しました。
    150号本塁打記念賞 1998.7.28
    200号本塁打記念賞 1999.9.21
    250号本塁打記念賞 2001.4.12
    300号本塁打記念賞 2002.7.19
    1000本安打記念賞  2002.7.12
    1000試合出場記念賞 2001.4.12

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36.ニッセイ月間MVP賞

36.ニッセイ月間MVP賞


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    ニッセイ月間MVP賞は、日本生命保険が冠スポンサーとなった賞で、シーズン中の4月~9月の各月ごとに 活躍した投手・野手1名ずつに与えられる賞です。 松井選手は、'94年4月、'96年7月8月、'98年5月、'01年9月、'02年7月8月、計7回受賞しました。

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37.セ・リーグ 月間MVP(最優秀選手)賞

37.セ・リーグ 月間MVP(最優秀選手)賞


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    松井選手は巨人に在籍した10年間('93~'02)に、セントラル野球連盟から月間MVP賞を7回受賞しました。
    (受賞した年月は次の通りです)
    '94年4月 '96年7月 '96年8月
    '01年9月 '02年7月 '02年8月
    写真の盾は、'02年8月の月間MVP賞のものです。

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38.ニッポン放送ショーアップナイター賞

38.ニッポン放送ショーアップナイター賞


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    松井選手は巨人時代に、野球中継を放送するラジオ番組「ニッポン放送 ショーアップナイター」から、 最優秀選手賞に3回、優秀選手賞に3回、優秀打撃賞に2回選ばれました。

    優秀打撃賞 99.01年
    優秀選手賞 95.97.98年
    最優秀選手賞 96.00.02年

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39.IBMプレーヤーオブザイヤー

39.IBMプレーヤーオブザイヤー


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    IBMプレイヤーオブザイヤー賞は、IBMベースボールインフォメーションシステム(IBM BIS)が選ぶ賞で、 公式記録員がつけるスコアカードからデータをコンピューターで「BISポイント」に置き換えて評価される賞です。 BISポイントとは、投手・打者の活躍度をイニング・得点差・塁上の走者などの要素を含めて表す偏差値のようなもので、 松井選手は、1996年・1997年・1998年・2000年の4回受賞しました。

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40.ゴールデンスピリット賞(1999)

40.ゴールデンスピリット賞(1999)


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    ゴールデンスピリット賞は報知新聞社が1999年に制定した日本のプロ野球選手の社会貢献活動での優秀者を表彰する賞です。 いじめの防止、撲滅を訴えてきた松井選手は、ゴールデンスピリット賞が制定された1999年に第1回受賞者として選ばれました。

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41.巨人軍時代―タイトル賞状・トロフィー

41.巨人軍時代―タイトル賞状・トロフィー


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    松井選手は巨人時代に日本プロ野球機構が定める、ペナントレースのタイトルのうち「最多本塁打者賞」を98・00・02年、 「最多打点者賞」98・00・02年、「首位打者賞」を01年、 「最高出塁率賞」を98・00・02年、「最優秀選手賞」を96・00・02年にそれぞれ受賞しました。

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42.セ・リーグ 本塁打王・打点王 二冠達成記念トロフィー(1998)

42.セ・リーグ 本塁打王・打点王 二冠達成記念トロフィー(1998)


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    松井選手は1998年に、本塁打王・打点王の二冠に輝きました。 二冠を記念して、星稜高校野球部OB会より二冠達成記念トロフィーが贈られました。

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43.松井選手と航空自衛隊小松基地

43.松井選手と航空自衛隊小松基地


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    松井選手の生家から約5キロの距離に航空自衛隊小松基地があります。松井選手の子供の頃の夢は、野球選手と、 もう一つは自衛隊の戦闘機パイロットでした。 松井選手は巨人軍時代の1999年12月27日、小松基地へ表敬訪問し、F15戦闘機(二人乗り)に体験搭乗(地上滑走のみ)しました。

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44.オールスターゲーム最優秀・優秀選手賞トロフィー

44.オールスターゲーム最優秀・優秀選手賞トロフィー


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    松井選手は巨人時代、94年からメジャーに移籍する02年まで9年連続でオールスターゲームに出場しました。 95、98、99年には各試合に1名選出される「最優秀選手賞」を、96、97、98、01、02年には、各試合に4名選出される「優秀選手賞」に 選ばれました。

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45.セ・リーグ ベストナイン

45.セ・リーグ ベストナイン


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    松井選手は巨人に在籍した10年間('93~'02)に、セントラル野球連盟からベストナイン(外野手部門)に8回選出されました。

    (選出された年次は次の通りです)
    '95年 '96年 '97年 '98年 '99年 '00 '01 '02
    写真の盾は、'02年のものです。

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46.町民栄誉賞(1998)

46.町民栄誉賞(1998)


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    松井選手は1998年10月12日、石川県根上町(現・能美市)大窪昭二町長より町民栄誉賞の贈呈を受けました。

    受賞の主な理由は次の通りです。

    読売巨人軍 松井秀喜殿 あなたはプロ野球読売巨人軍に入団以来ホームラン王をはじめとし数々のタイトルを獲得する等その輝かしい活躍は郷土根上町の知名度を向上し 町の活性化と町民に感動と活力を与えた功績は誠に偉大なものがあります。 よってここに町民栄誉賞を贈りその栄誉を讃え表彰します。 石川県根上町長 大窪昭二

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47.幻の本塁打王(1996)

47.幻の本塁打王(1996)


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    1996年の最終戦、中日の山崎選手の39本塁打を1本差で追っていた松井選手は、この試合、初の本塁打王獲得かと大変注目されました。 長嶋監督も「1打席でも多くのチャンスを」とプロ入り初の1番打者での起用という演出をしましたが、中日は初回先頭打者として松井選手が 打席に入った時から外角に大きく外れるボールを4つ続けて歩かせました。 その後もすべての打席で外角に大きく外れたボールばかりで、4打席連続敬遠。その結果、この年の本塁打王に輝いたのは、中日の山崎選手(39本)でした。 このトロフィーは、その松井選手に巨人軍担当記者が「幻の本塁打王」と称して贈ったものです。

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48.巨人軍OB会から贈られた銀バット(1996)

48.巨人軍OB会から贈られた銀バット(1996)


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    1996年、松井選手は97得点303塁打と好成績を残し、巨人軍OB会からその年活躍した現役選手に贈られる銀バットの贈呈を受けました。 この年の巨人軍は日本シリーズで惜しくも優勝を逃しましたが、松井選手は「MVP」「7月・8月月間MVP」「最優秀JCB・MEP賞」 「IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞」「東京ドームMVP」「ベストナイン」等たくさんの賞を獲得しました。

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49.日韓親善プロ野球最優秀選手賞・優秀選手賞

49.日韓親善プロ野球最優秀選手賞・優秀選手賞


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    日韓プロ野球スーパーゲームは、日韓国交樹立25周年と韓国プロ野球発足10周年を記念し、 日本プロ野球(NPB)と韓国プロ野球(KBO)の相互親善・親睦、レベル向上を目指し、1991年から4年に一度行なわれた国際試合です。 松井選手は、1995年に優秀選手賞を、1999年には最優秀選手賞を受賞しました。

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50.プロ初ホームラン バット&ボール(1993)

50.プロ初ホームラン バット&ボール(1993)


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    1993年、読売巨人軍に入団した松井選手は同年5月1日、東京ドームでのヤクルト戦で7番レフトで一軍デビューを果たしました。 この日松井選手は2打席目に西村龍次投手から2塁打を放ち、初安打・初打点を記録。 翌日2日には9回裏に高津臣吾投手からプロ入り初ホームランを放ちました。

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51.ドラフト(1992)

51.ドラフト(1992)


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    松井選手は1992年10月12日のドラフト会議で4球団(巨人・阪神・中日・ダイエー)競合の末、最後にクジを引いた 巨人・長嶋監督に引き当てられました。 「交渉権確定」と記された札によって選択が確定され、巨人入団の第1歩を踏み出しました。

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52.阿久悠氏作 甲子園の詩「敗れざる君たちへ」(1992)

52.阿久悠氏作 甲子園の詩「敗れざる君たちへ」(1992)


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    1992年松井秀喜高校3年の夏、甲子園で5打席連続敬遠があった翌日、阿久悠氏の詩が新聞に掲載されました。 詩の内容は次の通りです。 あなたはたぶん 怨みごとを云ったり 作戦を誹謗したりはしないだろう 無念さは おそらく 青春期の総決算のような形で 猛々しく噴出を待っているだろうが あなたは それを制御し 次なる人生への勲章にし エネルギーにしてしまうに違いない 感情を小出しに爆発させ その時その時の微調整をくり返し 如何にも活力あり気に振舞う人とは あなたはスケールが違う ドンと受けとめて いつか やがて まるでこの日の不運が 最大の幸福であったかのように 変えてしまうことだろう
    バッターボックスの中で 微動だにしなかった態度を称える ブーイングに便乗しなった克己心を 何よりも立派だと賞める 照れたり くさったり 呆れたり 同情を求めるしぐさを 欠片も見せなかったことを賛美する 一振りも出来ないまま 一塁ベースに立ち 瞑想していた男の顔を 惚れ惚れと見る
    あなたの夏は いま 無念の夏かもしれないが 流れの中で自分を見失わない 堂々の人間を証明してみせた 圧倒的に 輝く夏だったのだ

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53.日米韓三国親善高校野球

53.日米韓三国親善高校野球


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    松井選手は、高校2・3年の2年連続で日米韓三国親善高校野球大会のメンバーに選出されました。 オールジャパンの一員として日の丸を付けたユニフォームで出場し、3年時には4番バッターを務めました。 オールジャパンメンバーの中には、後にプロ野球選手になった方もいました。

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54.松井選手が愛用したトスマシーン

54.松井選手が愛用したトスマシーン


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    このトスマシーンは、松井選手が小学校6年生の時お父さんに買ってもらったものです。 当時、根上少年野球クラブの主将だった松井選手は野球の練習が終わり帰宅した後、さらにこのマシーンで打ち込みに励みました。 巨人入団2年目の不調時には実家からこのマシーンを取り寄せ、試合が終わった後、寮の地下室で一人打ち込んでいたこともありました。
    松井選手にとってこのマシーンは良きパートナーでもあったのです。

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